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奈良県には、日本人の「心のふるさと」と言われる多くの歴史的遺産が残ってます。和銅4(711)年に元明天皇が太安麻呂に選録を命じ、翌年献上された日本最古の歴史書「古事記」。神代の物語や国の成り立ちにまつわる出来事を記し、「ふることふみ」とも呼ばれました。起源発祥の多さから”はじまりの大和”と称される奈良はいにしえの都として歴史と新しさが同居しています。
桜井市の東側、山の辺の宇陀エリアに赤埴(あかばね)があります。 |
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又兵衛桜 |
(今年は「古事記」が完成して1300年)
1300年前、稗田阿礼と太安万侶によって編纂されたとされる現存する日本最古の古典「古事記」には、日本人の心の奥に触れる何か、日本人は太古の昔から難しいこと、悲惨なことがあってもそれを乗り越えてきたことが記されています。 |
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奈良国立博物館 新館 |
奈良国立博物館 本館 |
東大寺ミュージアム |
奈良国立博物館 新館で毎年秋に開催される「正倉院展」を見て来ました。
本館では名品展「珠玉の仏たち」を見ました。飛鳥時代から鎌倉時代の仏像、中国の諸作品を幅広く展示しています。東大寺ミュージアムでは、国宝の不空羂索観音菩薩立像、日光菩薩立像、月光菩薩立像が3尊並び立つ姿が荘厳でした。 |
宇陀市榛原の赤埴(あかばね)
宇陀市は柿本人麻呂が「かぎろひ」の歌を詠んだ地で、伊勢街道の宿場町としても栄えた歴史ある町です。
「大和志料」に須勢理姫命が室生の岩屋に入り、岩戸の口を赤埴でふさいだ故事によるとあり、延暦9(790)年室生の龍穴神社を当所に遷祀、赤埴明神と称したとあります。その後、当地の豪族赤埴氏の氏神として崇敬されてきたともいわれています。赤埴氏が赤埴庄をおさめていました。
「赤埴」の現地発音はアカバネ。「赤羽」とも書きます。地名の由来は、「万葉集」巻7に「倭の宇陀の真赤土」(1376)と詠まれている赤紅色の土質にちなむものといわれています。
「赤埴」は赤穂・赤部・丹生・羽田と同義の地名であろうと思われます。「埴」は「填」「垣」に誤写されたりしています。
近世初期は赤埴村(の一村)でしたが、元禄15年(1702)上・下二村に分割したが明治9年(1876)二村合併赤埴村と復称しました。
全国の赤羽の発祥の地はここではないだろうかと考えていました。奈良県には藤原京、平城京と、都として日本の中心でした。赤埴(あかばね)が読み方が同じ赤羽根・赤羽に変わって全国に広まっていったのではないでしょうか。 |
松山地区には江戸から昭和初期の町家が保存されていました。 |
室町時代末期の1500年代半ば創業の森野吉野葛本舗です。吉野は古くから葛の産地でした。奈良時代から葛の根は、食用にされ、中国から伝来した羊羹や、饅頭を模した和菓子の素材として重用されました。 |
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松月堂の「きみごろも」は卵白の和菓子でふわっとした食感です。素朴な味わいが昔懐かしさをおもいおこさせてくれます。 |
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戦国の武将、後藤又兵衛がこの地に落ちのび、僧侶となった伝説から、後藤家の屋敷跡にある樹齢300年といわれる桜は、「又兵衛桜」と呼ばれて親しまれています。「日本三大しだれ桜」の一つです。 |
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「宝生天然酵母パン」の古民家 田舎パンカフェ |
宅配専用で、雑誌ブルータスの「日本一おいしいお取り寄せはこれだ!」で掲載された宝生天然酵母パンが食事を提供してます。国産小麦を使用したトーストと13種のスパイスを調合したカレーのセットは美味しいです。 |
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日本昔話の風景そのままの懐かしい田園風景の中にある佛隆寺。門前の千年桜は樹齢900年を越え、奈良県下最大最古です。モチヅキザクラの一種です。 |
佛隆寺の千年桜 |
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真言宗室生寺派佛隆寺(左)と赤埴明神と称されている白岩神社(右) |
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赤埴(あかばね)乙集会所 |
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あかばね野産物直売良心市無人販売所です。佛隆寺の駐車場のすみにありました。 |
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奈良交通のバス停「赤埴口(あかばねぐち)」です。 |
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築150年の古民家 蕎麦・菜食「一如庵」で禅寺風精進料理そば ランチ「二の膳」をいただきました。
始めにタケノコ、ワカメ、ネギレンコンの酢の物にミニトマト。次に山ごぼうの湯葉巻き、新ジャガのコロッケ、豆腐を寒天で固めたもの、菜の花の寿司。メインの十割蕎麦。そして最後に玄米と小豆ご飯です。しっかりとした落ちついた味で美味しかったです |
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参考文献 |
角川書店 日本地名大辞典 奈良県
兜ス凡社 日本歴史地名体系 奈良県の地名
榛原町誌 |
訪れた日 |
2011/10/31 2012/04/17・18 |
宇陀市役所 |
〒633-0292 奈良県宇陀市榛原下井足17番地の3 TEL 0745-82-8000 |
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