三重県北牟婁郡紀北町の赤羽|赤羽紀行|東京都北区赤羽から全国の赤羽・赤羽根を探し歩いています
三重県北牟婁郡紀北町の赤羽
 紀北町は三重県南部の東紀州地域に位置しています。大台山系の連なる山々と熊野灘のリアス式海岸に囲まれた自然が豊かなまちです。
 熊野灘の新鮮な魚介類の宝庫で、四季を通じて旬のものが味わえます。祭りや目出度い時に作る色鮮やかなな郷土料理・押し寿司、紀州の名産・さんま寿司、汽水湖の白石湖で養殖された渡利牡蠣もおいしいです。マリンスポーツ、ダイビング、キャンプ、海、川、磯釣りも楽めます。
 赤羽と書いて「あかば」と読みます。


 伊勢方面から来ると町の入口にある熊野灘臨海公園内に道の駅・紀伊長島マンボウがあります。大内山牛乳・地元特産品の販売や名物サンマ寿司から、まぐろ、牡蠣、いか…などの海の幸を使った寿司、名物弁当が人気です。
 併設の紀北町観光協会で、紀北町の観光情報が得られました。

 熊野三山(熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社)に詣でる信仰の道として発達した「熊野古道」が紀北町には遺されています。
 熊野参道には、幾筋かの道があります。平安時代、京を発した上皇たちは、淀川を大阪まで下り、「紀伊路」を南下する紀伊半島西部を通るルートです。この経路は途中で田辺市から山中を進むメインルートの「中央路」と、海岸を進む「大辺路」の2本に分岐しました。
 「伊勢路」は伊勢から半島東部を南下して熊野に至る道です。高野山と熊野三山を結ぶルートは「小辺路」とよ呼ばれています。「熊野古道」は平成16年7月7日に世界遺産に登録されました。


 曹洞宗の大昌寺・赤羽不動堂には、江戸時代後期に奉納された絵馬が格子状の天井にはめ込まれています。


 絵馬には変体仮名で百人一首と古今名歌が書かれ、百歌仙が彩色で描かれていました。


 かい鮮やでは、紀伊長島、引本浦の市場から仕入れた新鮮な魚料理が食べられます。
 昼食に海鮮丼をいただきました。温かいご飯にマグロ、ツバス、太刀魚、ヤリイカなどがのっていました。甘めの醤油だれと魚が新鮮で美味しいです。


 赤羽運動公園です。ナイター設備のある野球グラウンド、テニスコート、サッカーが出来る多目的広場があります。


 三重交通株式会社のバス停 「赤羽学校前」です。このバス停から、赤羽小学校・赤羽中学校が並んでいます。


 紀北町は…天正10年(1582)、新宮の堀内氏善の進行によって、紀伊の国になりました。関ヶ原の戦いの後、紀伊藩主浅野氏が領主となり、元和5年(1619)に徳川頼宣が入国して、徳川御三家と称されました。
 藩政時代、長島浦は島勝、白、三浦、海野、道瀬、錦の六浦と二郷村、赤羽郷五箇村の七浦六村で長島組を形成していました。
 明治22年(1889)、町村制の実施に伴って、長島組の長島浦は長島村に、十須村・大原村・島原村が合併して赤羽村に、海野浦・道瀬浦・三浦が合併して三野瀬村になりました。
 明治32年(1889)に町制を施行して、長島町が誕生。昭和25年、長島町と二郷村は合併し、昭和30年に三野瀬村と赤羽村が合併しました。昭和45年に町名を長島町から紀伊長島町に改称しました。
 平成17年10月に旧紀伊長島町と旧海山町が合併して紀北町になりました。


 二級河川の赤羽川です。赤羽の名前の付く川は、全国でここだけです。上流には宮川ダムと宮川発電所があります。カヌーを楽しむ人もいます。橋の上にトンビがいました。

 応永21年(1414)より毎年9月16日に赤羽川の鮎を432尾、神宮へ奉納したと伝えられています。
 古代以来、赤羽も神宮領で丹島か中島のいずれかの郷厨属していたと思われます。南朝、元弘2年(1332)の頃、赤羽に赤羽遠江守と同新左衛門をおいたと伝えられています。
道路標識



 養鶏場が経営している、卵卵ふわぁーむで、地養卵たっぷリンとカリカリシュークリームを買いました。濃厚で美味しいです。


 三重県内有数の漁獲量を誇る長島港にはカツオ、伊勢エビなどの海の幸が集まっています。

紀伊長島駅


参考文献
 角川書店 日本地名大辞典 三重県
 兜ス凡社 日本歴史地名体系 三重県の地名

訪れた日 20012/10/15

紀北町役場 〒519-3292 三重県北牟婁郡紀北町紀伊長島区東長島769番地1
 TEL 0597-46-3111〜3125

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