時空へのいざない

誉田山古墳の築造計画の推定復元模式図(季刊考古学第3号1983年5月1日発行より)

前方後円墳は、日本の古墳の代表形で4世紀の初め頃から7世紀の初頭まで造られました。形は、台形の上に円形を合わせたような形状をしています。

円丘部分に埋葬施設があり、方丘部分に祭壇があったと考えられています。円墳、方墳、前方後方墳、前方後円墳といろいろな古墳の形状はあるのですが、この前方後円墳に魅せられています

この形は自然界の中でも、結晶・花・種子・珪藻類など人間が見て美しいと感じる黄金分割(形態美を規定している古来よりの理想的とされる比例法)を用いて作られたのではないかと思っています。

1994年に世界文化遺産に登録された南米ペルーの「ナスカの地上絵」のように地上に立って見ていては、その全体像を見ることは出来ないのです。前方後円墳にしても、なだらかな丘が2つくっ付いているだけです。

誰がどうやって、空から見ていたのでしょうか。

▲このページの先頭へ