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西尾市は愛知県の南西部にあります。西の境を矢作川が流れ、南は三河湾に面し、市内中央を南北に矢作古川が縦断しています。松平六万石の城下町として栄え、明治以降も西三河南部の中核都市として発展してきました。
江戸時代から続く西尾祇園祭、愛知こどもの国、三河湾の海水浴、潮干狩り、家族で遊ぶリゾートがたくさんあります。
海と豊かな自然に囲まれた一色町の西北に赤羽があります。
赤羽根城址もありました。 |
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実相寺の境内に茶種がまかれたのは13世紀。その後、明治に入って紅樹院の住職が宇治から茶種と製茶技術を持ち帰って伝え、西尾市での抹茶の生産が本格化しました。
今では日本有数の抹茶の生産地になっています。 |
鎌倉時代の初期に足利義氏が築城した西条城がはじまりと伝えられる西尾城。西尾市歴史公園は、お城の一部を復元した公園で、本丸丑寅櫓、鍮石門、数奇屋風の旧近衛邸が再現されています。 |
毎年8月26日・27日に開催される諏訪神社の大提灯まつりは400年を越える歴史があります。
6組12張の大提灯が掲げられます。学びの館には大提灯まつりのレプリカが展示されています。 |
一色さかな広場では、三河湾で水揚げされた新鮮な魚介類が所狭しと並んでいます。地元テレビ局によるお店を紹介する撮影が行われていました。寿司むさしの店長のおまかせにぎり美味しかったです。 |
13世紀に実相寺の境内に茶種がまかれたのが、西尾の抹茶のはじまりです。
日本有数の茶の産地、西尾市の抹茶色の緑の丸型ポストです。 |
明治21年創業、120余年の歴史があります。抹茶、玉露、煎茶を生産するお茶のメーカーです。 |
ダイコン・たまご・牛筋のおでん、大根のきんぴら、みそ田楽、天むす、いなり、豆腐や鶏肉料理、田舎料理などを堪能しました。賑わっています。 |
赤羽の地名がある幡豆郡一色町は、合併により2,011年4月1日から、幡豆郡吉良町・幡豆町と一緒に西尾市に編入されました。
赤羽とその隣接する大字を地図上でなぞってみると下に向かって進む愛らしい「カタツムリ」の姿が見えてきます。赤羽は赤いねばつく土の洪積台地とよばれる3万年前に形成された台地で、古代矢作川による堆積物でつくられています。土器が出土して弥生時代から人々の住んでいた跡が残っています。平安時代までは、赤羽辺りが島であり、南北朝時代の終わりに陸続きになったと推定されています。
書物、古文書、口碑伝を見ると「赤埴の里」「赤羽根の庄」「赤羽の庄」「赤曽根之里」「赤羽禰」「赤曽根」と書かれたものが見られます。赤埴とは、赤粘土で、羽根は埴の当字と思われます。 |
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赤羽別院 親宣寺 山門 |
赤羽根 城址碑 |
赤羽根 城址 |
赤羽根古城跡は「三河国名所図絵」に「赤羽西尾城古老云々、平遠衡は赤羽の城主也と云、又西尾の古記に鷲尾遠衡は赤羽根の城主と見えたり」とあります。 |
真宗大谷派の本山、東本願寺直属の別院である赤羽別院親宣寺は、土地の人から「御坊さん」と呼ばれて親しまれています。山門の前に赤羽根城址碑と案内板がありました。
江戸時代の始頃の明暦2年 (1656年 ) に書かれた「西尾草創伝」に「平遠衡は赤羽之城主也と云」とあります。
南北朝期には、吉良氏から分家した一色氏が城主となり、応永21年 (1414年 ) に高橋四郎高宗が城主となってます。永禄4年 (1561年
) に西条城主酒井氏に攻められて落城しました。
弓取り川の河口にある赤羽は織田・今川の両勢力の接触点で、戦略的にも重要な地点であったため、城を築いたと創造できます。 |
若一神社は熊野本宮退社を本宮と仰いでいます。赤羽根城址・若一神社・伊良湖岬が南北の線上に位置しています。意図的に奉場や建物を配置したものと考えられます。 |
赤羽公民館で建物の撮影をしていると隣地の方で赤羽に詳しい方とお会いしました。一色町文化財保護委員、一色町文化協会常任理事などをされています榊原稔様でした。一色町・赤羽の郷土誌の編集にもご尽力されていて、熱心にお話をされました。平成14年3月に御造営された「若一神社」の書物もいただきました。改めて御礼申し上げます。有り難うございました。 |
参考文献 |
角川書店 日本地名大辞典 愛知県
兜ス凡社 日本歴史地名体系 愛知県の地名
赤埴の里・赤羽郷土誌 赤羽郷土誌刊行会 |
訪れた日 |
2007/04/24 2012/07/02 |
西尾市役所 |
〒445-8501 愛知県西尾市寄住町下田22番地 TEL 0563-56-2111 |
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