前方後円墳に魅せられて
長野県更埴市森将軍塚古墳
 更埴市の名前は、昭和34年6月1日に市制施行により、更級郡の稲荷山町、八幡村、埴科郡の屋代町、埴生町が合併して誕生した市です。更級郡の「更」と埴科郡の「埴」をとって更埴としました。(音読みの地名は何か温かみを感じにくいのですが、そうだったのでした。)


  長野新幹線「上田駅」より、しなの鉄道で約20分の「屋代駅」から徒歩約25分。 循環バス「あんず号」にうまく乗れると、5〜6分です。

 更埴市は日本一のあんずの里です。あんずと言えば小さい頃、神社の縁日の屋台で売っていた、あんずの入った水飴は甘酸っぱくて。確かじゃんけんをして、勝つと2本もらえたか、手作りのスマートボールで当たりに入るともう1本もらえたとかしたと思います。ややもすると単調になってしまう商売を、勝負勝負と射幸心をあおるようなギャンブル的な売り方は、子供心にも忘れられない思い出になっているのでしょう。




 古墳は、森の丘陵尾根上に位置しています。 当時の科野のクニを治めていた王様が、ムラを見下ろす位置につくらせたお墓と考えられます。行きは森将軍塚古墳館からマイクロバスに乗って帰りは歩いて下りました。パンフレットに「マムシに注意」と書いてあったのを見て、(オイオイ、早く言ってくれよ。)


 森将軍塚古墳は、「森地籍」にある「偉い人のお墓」という意味だそうです。
 全長約100m、標高500m、山の尾根に築かれています。昭和56年から平成3年まで保存整備を行い建築当時と同じ材料、工法で復元されました。ここは、古墳のあるがままの姿を見ることが出来ます。千曲川から採取した石と有明山将軍塚古墳からの石も使って復元されているそうです。ボランティアガイドの坂口さん、丁寧な説明有り難うございました。


 土管のような円筒埴輪が古墳の墳丘(土が盛られた部分)や堤の部分に並べられています。それは古墳を神聖な場所として外の世界から区別する。つまり古墳を守る役割を持っていたようです。











 この地域の古墳は、山の尾根に造られています。

訪れた日  2002/09/25

千曲市更埴庁舎 〒362-8517 長野県千曲市大字杭瀬下84 TEL 026-273-1111